Salonette

スキの情熱で世界を変える!――高野麻衣 公式ホームページ

妄想クラ女オタク系

長くオタクをやっていると、センサーのようなものが発達して、
「足を踏み入れたら、ハマル」
という危険信号がわかるようになる。
萩尾望都しかり、ラデュレしかり、タカラヅカしかり。
だからこそ、私にとってのガンダムは男子の牙城(女人禁制)であった。そう思おうとしていた。
もしも斎藤美奈子フェミニズム論*1 に、連邦軍WBに所属するセイラは実は姫で、生き別れた兄がいる。敵国ジオン軍の将校シャア・アズナブルであるという解説がなければ、観ることはなかっただろう。
兄妹(実は貴人)!!敵の将校!!
…いわゆる“萌えシチュ”である。設定だけで、あまたの名作が駆けめぐる。
ガンダムには、こういうトリックがたくさんあったのだ。

シャアの本名はキャスバル・レム・ダイクン
権力者の子に生まれながら父母を謀殺され、憎悪を仮面に隠し、ただ一人残った家族である妹も捨てて復讐の道を歩んでいる。古典的だが、このあたりの権謀術数がすばらしく面白い。偽の身分で士官学校への入学を果たし、父の敵であるジオン公国公王デギン・ザビの末子、ガルマの親友の座にまんまとおさまる。プライドは高いが素直すぎるガルマの心理を巧みに操作し、信頼を得ながら虎視眈々と復讐の機会を狙う…
WB追撃の過程でガルマに再会したシャアの、声音のやさしさにドキドキした。
二人の会話は妙にセクシーである。士官学校という単語に過剰反応してしまう。「ガルマ散る」には両者の壮絶な葛藤を感じ、兄妹などまったく目じゃなかった。
…そんな私はまごうことなき乙女である。
ジーク・ジオン!

安彦良和*2 のコミックス『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(角川書店)を読むと、シャアのかっこよさになんでも赤く塗りたくなる。
彼は、乙女的思考回路を持った作家である。
人間関係にこだわり、大筋に関係のないエピソードや台詞のない視線だけのコマで深い関係性を表せるタイプ。
たとえば、シャアの煽動により、学生の身でありながら連邦政府の部隊を急襲する指揮をとることになったガルマ。緊張に手が震え、「軍服のボタンが留められない」と泣きごとを言う彼を引き寄せ、シャアは黙ってボタンを留めてやる。
完全に萩尾望都の世界。
ポーの一族』第3巻「小鳥の巣」で、エドガーがアランの足下に騎士よろしく跪き、靴ひもを結んでやる場面があるのだ。
エドガーとアランの関係性 ――一見わがままに振舞うアランは、実はエドガーの過保護により心理的に支配されている――を、冒頭のたった数コマで表現した神業。
シャアとガルマのシーンも、これにインスパイアされたのかもしれない。

少女マンガの例が難しければ、たとえば映画『太陽がいっぱい』。*3
御曹司の親友を殺し、その恋人や財産までわが物にしようとする天才的で野心的な貧しい青年の話。
なにひとつ持たないのに、人を惹きつける魅力と野心、殺人すら辞さない邪悪な意志をもつトム・リプリーアラン・ドロン)と、何もかも持っているはずなのに“本当の自分の物”はなにひとつ持っていない――故にトムに惹かれつつ憎悪するフィリップの関係性は、シャアとガルマそのもの。
暗い目が似ている。

『エスクァイア』乙女対談の折、小田島さんがバッハの宗教曲*5 から24年組の話題を振ってくださり盛り上がったのだが、私は以下のように発言している。

やおい」の感じも乙女って称されるじゃないですか。私としてはちょっと違和感があるんです。でも萩尾望都竹宮惠子はオッケーだと思いますよ。微妙な境界線がある。

言いたいことがありすぎて、まとまっていない。
自分のなかでの「やおい」と「乙女」の定義があいまいだった。
あえて言おう。「やおい」は乙女であると。
古来、乙女とは暴走するものである。
アポロンに追われたダフネを、八百屋お七を、サロメを見よ。
あるいは、乙女とは欠けたパーツを妄想でうめて語るのが楽しくて仕方がない人種である。
赤毛のアンを、小公女セーラを、ジュディ・アヴォットを見よ。
やおい(ヤマなしオチなしイミなし)*5」は、乙女の思いこみ暴走を著しく助長するのである。

では微妙な境界線とはなにか――。
これはバッハとショパンの乙女性の相違を解き明かす以上に難しい。
秘すれば花、的な。わかるひとにはわかる、あの感覚である。

私は幼少から、ひとりが退屈だったことはない。
「あーあ、なにかおもしろいことないかなー」と言ったことがない。
音楽と映画と本さえあれば、こんなに考えること(=妄想)があるのだもの。
まだまだ、まだまだ、あるのだもの。 

*1 『紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』筑摩書房、2001年。

*2 安彦良和 (1947-)
ガンダムのキャラクターデザインで有名なアニメーター、漫画家。『THE ORIGIN』は、アニメを丹念にコミックス化したもの。大筋はアニメと同だが、作家独自の解釈やオリジナルストーリーも。詳細に描写されているシャアの過去エピソード(9-11巻)は、完全にコミックスオリジナルである。
なによりも作画が美しい。アニメ『風と木の詩』の監督や萩尾望都との親交にも納得。9巻の口絵(ダイクン兄妹)など、エドガーとメリーベルかと思ったもの。

*3 Plein Soleil ('60/仏伊)
50年も前の作品なのに、共依存関係とも疑似同性愛ともつかないあいまいな関係がとてもセクシー。さすが名匠ルネ・クレマンニーノ・ロータ。マリー・ラフォレもかわいい。
ジュード&グウィネスが素敵だったが、リメイクは微妙。リプリーがアレだし、原作に忠実な分ホモセクシュアルが前面に出すぎている。アメリカ的!!

*4 アーノンクール指揮の「バッハ:カンタータ第140147番」。トーマス・ハンプソンBr.とボーイソプラノの二重唱に身悶える乙女たち。

*5 語源は手塚治虫と言われる。パロディ同人誌などで描き手が自嘲して多用するうち、そうした作品そのものや男性の同性愛的な描写のあるジャンルそのものを指すようになった。
ただし広い意味においては、『NANA』も『のだめ』(大学編)もやおいと言える。
また、私はそうした描写こそ“イミあり”だと信じている。いわば行間の美学。