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スキの情熱で世界を変える!――高野麻衣 公式ホームページ

スキの情熱で世界を変える! —— 高野麻衣オフィシャルサイト

あなたの世代へくちづけを

荷宮和子『宝塚バカ一代』(青弓社)を再読。

タイトルに大きく「宝塚」とあるが、この本はよくある「わたしの半生と宝塚」でも、もちろん「宝塚入門」でもなく、「女おたくとは」というテーマのエッセイ集である。
ひいては「男という生き物が、どれほど迷惑で困った存在であるか」を考えるフェミニズムの本だと、わたしはおもっている。

一読して、ここにはわたしが(主観的にも客観的にも)読んできた少女マンガやBLの経験、いやったらしいメディアやら論壇やら身近なエリート・クラヲタたちの悪口合戦に辟易した経験、セクハラってこういうことなんだと歯噛みした経験、などがスカウターを通したみたいに映し出されていると感じた。
  
 
結局、女の文化とは女が自分自身を解き明かしていく過程でしかない。
ということは、昨年末iioさんとスタバで語った際に、
「女性は、“わたしはこう”なんだよね」
と大きくうなずかれて愕然と判明した事実なのだが、だからこそ女の文化のあり方には女の数だけの違いがあって、派閥ができにくいのかもしれない。

荷宮和子はおたく/オタクとしても大先輩であるし、引用する本やマンガやアニメのかぶり率は高いし(この本で登場するのはオタクの基礎教養的作品ばかりだけれど)、「ネットとは「いやったらしい」男たちが互いに互いを癒しあっている場所である」とか、「男が罪を犯したのではない、男であることが罪なのだ」(サン・ジュスト風)には喝采を送りたい。
しかし、小さな違和感はそこかしこにあって、だからこそ以前、本人にお会いして話してみたいと熱望したのであった。

 
1) 女オタク共同体にも感じる生きづらさについて

男中心の「社会」に生きづらさを感じてきたからといって、「男を必要としない人生」(東村アキコ海月姫講談社KC KISS)なんてぜったいにいやだ。
もちろんすがって生きたいというわけではなく、わたしには到底、女だけの世界が楽だ、とは思えないからである。
生涯一度もないだろう。断言できる。
わたしは7才にして3人以上の女子グループが非常に苦手だったし、中学のときは言動が生意気、姿勢がよすぎる、などの理由で体育館裏よびだしの常連だったし、いまでも毎日連れだってランチとかは勘弁してほしいし、女子会とか言われた日には死んでも行きたくない。
自分だってオタクのくせに、ありがちな女オタクの暴走を「女ってこれだから。もっと冷静になれよ。見てらんないわ。醜いわ」と眺めてしまう「いやったらしい男」の自分がいる。
――美しく生きたいと思います。
と、太宰の女学生風に言ってしまえば聞こえはいいかもしれないが、こういう乙女のスピリット、選民意識=男のそれ、なんじゃないか。
もうそのへんのアンビバレンツが、わたしのものを書く動機といってしまえば、そうなんだけど。

女オタクの世界はあたたかい。
互いの興味のベクトル(ジャンル)が違っても、「内部」の者ならばあたたかく見守ってくれる。
しかし、半面で「外部」と認定した者に対する自意識、警戒心が異常に強い。
同人誌の通販でも、池袋のアニメイトでも、わたしは強烈なカウンターパンチをくらったことがある。
そう、たとえるなら蔵之助(女装ver.)登場時の尼~ずのあの空気、そのもの。
わたしもオタクだから、オタク共同体の快感原則はわかっているつもりだ。
それでも、「ぬるま湯」のやさしさは心地いいけれど、それしか知らないで、それ以外を拒否して生きるの? それでほんとうにいいの?
わたしが『海月姫』=東村アキコに感じるシンパシーはそこにある。
  
 
2) おたく/オタクとしての同時代性について

東村やよしながふみ三浦しをんにあって荷宮にないもの、である。
生年は順に三浦が1976年、東村が1975年、よしながが1971年と上っていき、多少の開きはあるが、1979年生まれのわたしにとって「同時代」を共有できる上限はこのあたりまでなのかもしれない。

1963年生まれの荷宮にとっては、わたしたちは「団塊ジュニア以降」でしかなく、JUNE→やおいの系譜を経た作家が、自身のなかにある狂気と折り合いをつけた「その果実たる「BL」だけを受け取り」、「既に市場からは「JUNE」も「やおい」も消えていたためそれらを知らずに成長してしまった」という。
これは大きな事実誤認である。
わたしは「団塊ジュニア」ですらないが、「JUNE」と「やおい」で育った。
そしてわたしは、きっちり「24年組」の影響下で少女マンガの文法を学び、「せつなさ」や「狂気」や「生きづらさ(=売れ筋の恋愛ものへの違和感)」のもとにものを考え、ものを書いてきた。
わたしたちより年少の世代であっても、たとえばヤマシタトモコに出会ってやおいへ、耽美へ、さかのぼるひともいるだろう。
いわゆる「JUNEがえり」だ。
系譜は脈々と続いているのである。
わたしたちは、少なくとも文化的には、なにもロストしていない。

「「BLこそが唯一絶対の素晴らしいジャンル!」という自意識過剰ぶり」には、上に書いたようにわたしだってうんざりしている。
しかし、そこに異議を訴えている作家が増えていること、それこそが現在のBLの潮流であることに、栄光の「おたく第一世代女」は気づいていない。
そのことがいちばんの驚きである。
世代の壁って、大きい。
もしかしたら性の壁と同じくらい大きい。
  
 
東浩紀とか宇野常寛とかゼロ年代とかアンチ・ロスジェネとか書きたくなったけれど、また今度。



http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN978-4-7872-7261-4.html 

宝塚バカ一代―おたくの花咲く頃

宝塚バカ一代―おたくの花咲く頃

 

 

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