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スキの情熱で世界を変える!――高野麻衣 公式ホームページ

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女王陛下のボンベイ・サファイア

そのホテルは、23室の小さなものだった。
地主が、自分の客をもてなすためのタウンハウスとして構想したのが、元になったらしい。

いまおもうと、オーナーは英国貴族になりたかったのかもしれない。
彼は馬が好きで、馬主であり、英国の建築とブラントンを愛していた。
わたしが受付や給仕をしていたラウンジは、シャーロック・ホームズに出てくるような会員制紳士クラブであり、政治家、財界人、近隣の地主や国営放送局の重役、俳優、大物歌手、観世流の能役者、某出版の有名編集長といった、ミステリにでもなりそうな面々が立ち寄ったり、実際ミステリにありがちなパーティーを開いたりした。
撮影もよく行われていたから、既視感のあるひともいるかもしれない。
ジョージアン様式だったのだろうか、華美なところのない、しかし木の曲線や調度のひとつひとつにモダンな試みがされた内装だった。
客のない夜、巨大なスピーカーから流れるジャズに聴きほれつつ真鍮を磨いていた時間を、いつも思い出す。

バーは、英国チューダー様式の重厚な内装であった。
アーチ型の天井が気持ちよく、そのところどころに馬の彫刻や馬具が飾られていた。
椅子はどっしりと深く、カウンターの木の手触りはなめらか、色あざやかなボトルがちょうど目の高さにくる。
ワインセラーの静けさやラベルのフランス語も魅惑的だったが、わたしはそこでリキュールの壜を眺めるのが好きだった。
 
 
当然のように酒の味を思えた。
なかでもカクテルには本を読みあさるほど熱中した。
カクテルというとカンパリオレンジだとかベイリーズミルクだとか、あるいはバーテンダーが創作した前時代的な名前の飲み物だとか、そういう、甘ったるいイメージが強いかもしれない。
しかしもちろん、わたしが好きなのはリキュールそのものの産地と歴史と壜であるから、あとはだいたいトニックやソーダで割って飲めばいいと思っている。
いまでも常備しているものは何種類かあって、カンパリイエーガーマイスターズブロッカ、そしてボンベイ・サファイア
これらは麗しい食生活の上でも棚の美観の上でも、欠くことができない。

なかでもわたしが偏愛するのが、ボンベイ・サファイアである。
名前は、もちろん、英国統治下のインドからきている。
当時はマラリア予防の目的で、衣料品であるトニックウォーターキニーネを混ぜて飲んでいたのだが、より洗練された飲み物として楽しむため、ジンを加えるようになった。
そのための、薫り高いジン。ラベルにはヴィクトリア女王の肖像をあしらっている。
なによりも、サファイア色のガラスで作られた壜が美しい。

ボンベイ・サファイアはドライ・マティーニにもよく使われる。
007のジン。女王の番犬にはふさわしい飲み物ではないだろうか。
青色を光にすかし、ラベルの女王陛下と見つめあう。
 
 
という土曜を、ここのところ過ごしている。
ボンベイ・サファイアはシエル・ファントムハイヴのイメージとも重なるからだ。
もちろん、貴族の少年が飲むのはフランスのワインだろうけれど。

残念なことに、ホテルは数年前に閉館してしまった。
だからこれは、いまはもう幻なってしまった、わたしの修行時代の話である。 

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