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【Music】ヴェローナより愛をこめて | アンドレア・バッティストーニ × 東京フィルハーモニー交響楽団

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卑しいわが手がもしもこの 聖なる御堂を汚すなら どうかやさしいお咎めを                                        ――シェイクスピア『ロメオとジュリエット』

以前、「シェイクスピアの幕間」というコンサートを開催したとき、この文豪の戯曲を題材にした音楽について調べたことがある。「音楽が恋の糧ならば」からはじまる『十二夜』や、オペラでおなじみの『マクベス』『オテロ』などもさることながら、『ロメオとジュリエット』の音楽家人気は案の定、群を抜いていた。

それはそうだろう。憎しみと葛藤と死と、宿命の恋。物語に必要なすべてのエレメンツを兼ね備え、あまつさえ磨き上げられた言葉は、それだけで音楽的。

そして仕上げのスパイスは、「ヴェローナ」という舞台なのかもしれなかった。

6月最初の日曜日。そんな魔法の街が生んだ若きマエストロ、バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団による「休日の午後のコンサート」を訪れた(6/4 東京オペラシティ)。

 

東京フィル「休日の午後のコンサート」は、指揮者のお話を交えながら、名曲やテーマにちなんだちょっと珍しい曲をご紹介する人気シリーズ。今シーズンの前半2回では、首席指揮者バッティが、故郷ヴェローナの代名詞『ロメオとジュリエット』を題材にした音楽をとり上げる。

ちなみにヴェローナは北イタリア・ヴェネト州にある古都。

ヴェネチアにほど近く、中心部にある古代ローマの円形競技場跡が街の象徴となっている。歴史ある市街地を含めて世界遺産になっているほか、『ロメオとジュリエット』、同じくシェイクスピアの『ヴェローナの二紳士』の舞台としても知られている。

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バッティ曰く、「ヴェローナは魔法的な街」。時代時代の面影が地層のように積み重なった街並み。そして街を取り囲む緑の丘陵。シェイクスピアが、偶然にしてもこの街を悲恋の舞台に選んだのは、大英断というほかないという。

§ベルリオーズ:劇的交響曲『ロメオとジュリエット』より「マブの女王のスケルツォ」(1839年初演)

コンサートの冒頭に登場したのは、フランスの作曲家ベルリオーズによるこの曲。1827年、パリで観た英国のシェイクスピア劇団による『ロメオとジュリエット』を観て作曲の決意をしたというが、実現は12年後となった。その経緯がおもしろい。

オペラの失敗で経済的苦境に立っていた1838年末、ベルリオーズはのちに代表作となる『幻想交響曲』と『イタリアのハロルド』を発表して大成功。この公演を聴いていたのが、『イタリアのハロルド』を委嘱しながら演奏を拒否した天才パガニーニベルリオーズに「ベートーヴェンの真の後継者」という賛辞と2万フランもの大金を贈った。これによってベルリオーズは作曲に専念。念願の『ロメジュリ』を書き上げたという。

全体はオラトリオのような1時間半の大作。「マブの女王のスケルツォ」は代表曲としてよく演奏される。

「マブの女王」はご存知、マキューシオがまくしたてる夢を操る妖精。羽音のようなヴァイオリンの弱音がメンデルスゾーン真夏の夜の夢』を思わせる曲のなかにも、ベルリオーズらしい不吉な予感が。

ベルリオーズ:ロメオとジュリエット

ベルリオーズ:ロメオとジュリエット

 

 §チャイコフスキー:幻想序曲『ロメオとジュリエット』(1870年初演)

つづいてはこちら。チャイコフスキー30歳、モスクワ音楽院教授になってまもなく書かれた初期の名作だ。「幻想序曲」というタイトルどおり、物語そのものというより、物語のイメージ を音にした作品で、のちに『テンペスト』と『ハムレット』も作曲している。

バッティによると、「この音楽は3つのテーマから成り立っている。1つめは〈運命〉で、冒頭のクラリネットファゴットの旋律。2つめは〈闘争〉で、憎みあう両家が交える剣の音がシンバルなどで表現されている。そして3つめはもちろん〈愛〉」。シェイクスピアチャイコフスキーのように、天才同士が出会うと信じられないことが起きるとも語っていた。 

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」、大序曲「1812年」、他

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」、大序曲「1812年」、他

 

 §ロータ:「ロメオとジュリエット」より愛のテーマ(1968年公開)

 休憩をはさんで3曲目は、1960年代の映画音楽から。20世紀イタリアを代表する作曲家ロータの代表曲でもあり、2014年ソチ五輪では、スケート羽生結弦のフリー楽曲として注目された。

オペラ演出でも著名な映画監督フランコ・ゼフィレッリによる『ロメジュリ』は、原作の恋人たちに近い十代のレナード・ホワイティングとオリヴィア・ハッセーを起用したことで、その後の流れを決定づけた名作。個人的には、舞踏会シーンの中世風音楽へのロマンと、公開当時中学生だった父の初恋の人(?)オリヴィアの切り抜きとLPレコードの印象が強烈。

Romeo & Juliet

Romeo & Juliet

 

 §プロコフィエフ:バレエ組曲ロミオとジュリエット』op.64より(1936, 37年初演)

真打登場。20世紀ロシアを代表するプロコフィエフの代表作。革命の混乱を避けてアメリカやフランスで活動したあと、1934年、43歳でソヴィエト連邦に帰国したプロコフィエフが、レニングラードのキーロフ劇場(現・サンクトペテルブルクマリインスキー劇場)の依頼により作曲した。

ところが、バレエ初演は二転三転。発表の目途が立たない作品を救うべく、プロコフィエフは、バレエ音楽をオーケストラのための2つの組曲に仕立て直した。本日はそこから5曲が演奏された。

第2番より「モンタギュー家とキャピュレット家」「少女ジュリエット」

第1番より「仮面」「バルコニーシーン」「ティボルトの死」

いずれも有名かつ、性格の違うハイライトシーンを選びつつ、「恋人たちの死は割愛します」と語るバッティの機知に会場から笑いが。「『少女ジュリエット』は、すでに自分の人生を選択する年齢に差しかかっていた」「本来ロマン派ではないプロコフィエフが、この物語が持つ大きな力によってロマン派を象徴する先達チャイコフスキーに最も近づいた」といった解説もよかった。

個人的にはやはり「バルコニーシーン」で、東京フィルとともに訪れたロンドン・カドガンホールでのリハーサル――教会のようなバロック建築のホールの天窓からこぼれ落ちる日差しと、繊細な弦楽を思い出さずにはいられなかった。かするようなあえかなヴァイオリンの音に、涙がこみ上げた。 

 

低音を強調するバッティならではだったのが、チェロの効果。ヴァイオリンに重なるように旋律を繰り返すチェロの音があまりに官能的で、「あ、ロミオがきた」とわかる。少女時代に観たマラーホフとフェリのパ・ド・ドゥが脳裏に同時上映されるような、不思議な経験だった。 

プロコフィエフ/ロメオとジュリエット

プロコフィエフ/ロメオとジュリエット

 

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バッティの指揮からは、毎回「知らなかった音」が聞こえてくる。

それは彼が、どれだけスコアを読み込んで、隠れていた音を引き出しているのかという証拠だ。定期演奏会でもそうだが、今回のようにアナリーゼ的解説付ならなおさらだ。

ストイックに音楽を味わう定期演奏会と、解説とともに聴くことで「知る」喜びを味わうこうしたコンサート。現代のオーケストラにとって、2つは欠くことのできない両輪である――客席で喜びを共有しながら、そのように確信した。

「綺麗ね」の先のなにかを「知る」。それこそが、みんなが求めていること。

バッティは、やっぱり時代にぴったり合った芸術家であり、同時にエンタテイナーなのだと思う。

 

なにより、楽曲について喜々として語るようすから見えてくるのは、バッティのオタクぶりだ(実際、彼は音楽以外は「まるで熊の冬眠みたいになにもしない」と語っていた)。

「バッティってオタクだなー」とつくづく思ったのは、去る5月の定期演奏会での『春の祭典』がきっかけだった(5/19)。

§ストラヴィンスキー春の祭典

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2017-18シーズンの開幕に選ばれたのは、20世紀ロシアの天才ストラヴィンスキーバレエ音楽だった。個人的にはこれも、2014年のワールドツアーで繰り返し聴いた、東京フィルとの思い出の曲だ。

バッティが指揮するならものすごく男性的に、アパッショナートに、迸るような祭典になるのではないかと期待が高まった。静寂を、チェ・ヨンジンによるバソンの音が割り開く――瞬間、パリのサル・プレイエルの密やかなホワイエがよみがえった。あのときの静けさも、アールデコの手すりの高貴な冷たさも。

 

音楽のプルースト効果とでもいうべきか、冒頭から感極まって味わった『春の祭典』だった。

バッティの指揮は予想に反し、非常に緻密で冷静で、ディズニー=ストコフスキー的な爆発というよりも、まさにシャネルの愛したバレエ・リュスの妖しさに満ちていた。

短い小旋律の数々は細分化され、縦に横にと、元が知覚できないほどに変化をつけられている。そうして、このような非常に単純な存在から、表面上は調性があるようでも実は存在しない巨大な構築物が生成され、様々な音階に再び至るモデルを通じて動いて行く。それらの音階とは、2世紀にわたる音楽の歴史が我々に慣れさせてきた音階に似てはいるが同一ではない、いかめしく古色蒼然たる旋法のような、刺すような不協和音の衝突に満ちた音階なのである。

そしてこのような技術的な側面は、驚くべきものではあるが、この総譜の魅力を説明するのに充分ではない。…

『祭典』は実際、劇場のため、ダンスのため、正確に決まった筋書きのため、物語を語るために生まれた。したがってこの作品の源は、自らをこれまでとは違う、古く同時に非常に新しい、二十世紀の最も先進的な人間のみが想像しうる野蛮で原始的なロシアの吟遊詩人と見なした、作曲家(ストラヴィンスキー)の天性の包容力にあると考えられる。

フランスの耽美的なデカダン派とは大きく違う。ニガヨモギが匂い、香が燻る太古のイメージをもって、ストラヴィンスキーは神話的で非合理的な掟を持つ未開な先史時代を思い描く。

予測できないダンスのリズムや、耳をつんざく異様な太鼓の音はまるで、骨の笛や皮張りの太鼓の古代の奏者たちを模倣したいかのようだ。そして、神々に身を捧げるために死に至るまで忘我の跳躍を続ける生贄の乙女の物語。…

そう、バッティの祭典はちゃんと「乙女の物語」だったのだ。その彼女をとりまく、大地も揺らすような宿命も含めて。

懐かしいのと、新しい発見とでひどく興奮した。珍しく、楽団員諸氏に挨拶に行ってしまったほどだった。みなさん顔を輝かせていて、その夜の演奏が最高のセッションだったこともわかった。

観客もみんな興奮し、喜びを共有していた。

終始けわしい顔をして拍手もしないような評論家気取りの観客は見当たらず、そんな東京フィルの空間が好きだと、あらためて感じた。

 

6月の定期では、渡邊一正指揮によるリストの交響詩『レ・プレリュード』とピアノ協奏曲第1番、そしてブラームス4番といった「19世紀もの」が披露される。

プログラム表紙にハラダチエさんが描く「旅人」も、リストの故郷ブダペストの国際空港に降り立ち、なんだかうれしくなる。

オーケストラとの音楽旅行、今後も大切に書き留めたい。

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www.tpo.or.jp

 

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